2009年9月20日日曜日

実は"キャラ決め"という言葉が一番嫌いです。(自然に本人主体でそのキャラになってほしいと強く思う)

小さいころ、いじめられたり、いじめられるてる人を見たりする中で、俺は集団内で中立でいたいと考えるようになった。中立で、他者に対する距離感をすべて同じにすれば、どんな状況になったときも、自分の意見をしっかり言えて(いじめみたいな行為に自分が加わることを)回避できるのではないかと考えたのだ。

上記の論理を構築する背景にはもう一つ重要なファクターがある、それは学級崩壊だ。最終的にジャッジしてくれる権威が使えなくなったとき、"万人による闘争"が始まってしまった。今までそんなことを先生に言うキャラじゃない子まで、キャラを豹変させた。←この光景は今でも俺の記憶に強く残ってる。

小6からこのシステム(できるだけ中立でいるシステム)を集団内にいるときは、できるだけ機能させる努力をした。

高校に入って、以前感じられたクラスの一体感(志向性が合う仲間がある目的を達成しようとしたときに生まれる一体感がプラスに働く現象)をあまり感じれなくなり、(みんな自我がしっかりしてくるから当然だよね☆)俺はだんだんとそういうものから、解放されていった。俺が行ったのは男子校だったので、ある種のめんどくさくなるファクター(男女関係など)は限りなく小さかった。でもやっぱりいじめは存在した。

(もとからこういう性格だったのか、それても環境が俺を変化させたのかはわからない。)

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